老人介護のエピソード

 

(29) よく、ここへ入れましね!

 親父の介護は昼食時間だが、たまに診察が遅れたり、何かの都合で待ち時間ができることがある。ナースセンターの前のソファーで何度か寛いでいるうちに、いつも顔合わせる糖尿病の患者さんがいて、年齢も私とほぼ同じで仲良くなった。本人もここに入院するには苦労したらしく「よく、ここに入れましたね!」から話が弾み、聞けば市内では最も大きな某有名企業で、ある事業部門の電気関係の元管理職。親父とは事業部は違うが同じ会社でもあり、私もプラント・エンジニアだから技術的な専門話もよく合う。

 転院できた理由は、先に述べたように、時には知っていても上手に知らぬフリをして医師の顔を立て、お金がものを言わせることが秘訣だが、無難に「ラッキーでした!」で誤魔化す。それに私が健康や医学部門に詳しいことに驚かれ、「実は、私は…」と放送大学に在学中であることも明かし、社会保険、病気の内容などいろんな質問に答えた。すると「この病院の看護士は誰に尋ねても、まるっきり知識がない。」と怒っていらっしゃる。

本当は学んでも、忘れていたり、院内の事情で話せなかったり、忙しくて時間がないこともあるのだと思うが、本人は退院したいのに退院させてくれないとボヤかれることしきりだった。詳しく聞くと、看護士に内緒で好きなチョコを食べたり、折角退院レベルに近づき医師が様子見をしているのに、また値が上昇と本人が退院できなくしているのには呆れてしまった。

 少し脱線したがこのシリーズも今回で29回目になってしまった。介護は大変な仕事であるがやり甲斐のある仕事でもある。

以前あるSNSや某ブログに何回か投稿もしていたが、「無資格の偽医師」が務める「24時間無報酬勤務」と表現していたことがある。

 親父の介護は足掛け 8年、うち、独り暮らし 約2年、ショートステイ利用は4年。さらにその残り 2年のうち脳梗塞で治療とリハビリで 6か月、腸閉塞で延べ 1か月半、最後の長期入院が概ね8か月半で合計16か月は病院であった。つまり、 4年間(48か月)の1/3は病院暮らしであり、実際に面倒を看て大変だったのは、ショートステイ後半の 24か月と自宅介護の入院期間を引く 32か月の54か月(4年半)である。一番大変だったのは最後の腸閉塞を起こすまでの約半年は、連日3~4時間の睡眠に時々徹夜が入る状態であった。

こんなに寝ることができない、待機時間が多いのなら、時間の有効利用にと大学の3年生に編入学させて頂き勉強を始めた。こんなことでもなければ、自分の老後に備えた知識を学ぶ機会もなかっただろうと、今では逆に感謝している。

 一般に、介護日数(「日常生活に支障がある期間」)=「平均寿命」-「健康寿命」と表すことができ、目安として男性で約6年、女性で8年程度、ざっと7年が介護の必要年数である。世間では自分の伴侶が亡くなって、7~8年の独り暮らし後に自分の命が終わると言われている。必要経費もピンからキリまであるが、ほぼ15~20万円/月位が一般的な相場とみていいだろう。2人だからと言って単純に2倍にはならない。いまは在宅介護中心が政府の方針だが、老夫婦揃って自宅又は施設で暮らせるのは幸せなことである。いずれかが入院や施設で暮らすとなると、あらゆる問題が浮上することになる。親父の場合は長生きではあったが、介護が必要な期間では世間並とも言える。

 例によって、親父はナースセンターに近いところに配置され、心臓の動き24時間監視されているのは前の病院と同じである。今度の病院ではモニターは病室になく、ナースセンターのみである。いつもそこで面会票を書く時、遠くから見たり看護士長に様子を聞くことにしている。前の病院ではいつも顔パスで通していたが、新しい病院ではきちんと書くことにした。同じ病棟の看護士・介護士は何10人もいるが、殆ど顔を知っているので顔パスで通せないことはない。が、訪問客も多いようだし一人だけ変わったのがいると目立ってしまう。それでその都度面接名簿に書くことにしたら、患者や家族に顔見知りができて、応接スペースで長時間話すこともあった。

 

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