老人介護のエピソード

 highdy が70歳を前にして大学に入ったのは、親父の介護がそのキッカケになっている。

とにかく、ひと晩中の介護が多く寝る時間がないために、どうせ寝ることができないのならアイドル時間が勿体ないので、勉強でもしてみようと一念発起したことによる。こんな状態は約半年続いた。
それでも可能な限り本人が望むように自宅での介護を続けていた。毎月の定期検診に行っているうちに、病院から「これ以上は無理です。今までよくここまで面倒を看ていらっしゃいましたね」と感心されたほどで、入院を勧められた。入院したその日から、ナースセンターの隣で心電図を無線送信するようにセットし、24時間介護状態におかれた。

私は医師でもなくプロではないが、病院に負けないレベルの管理をしていたのだから、時間がないのも当然であると後で分かった。

 老人介護というものは、したことのある人でないと判らない世間で言う「辛さがある」と言えるだろう。highdy の場合は、それを喜びに代えて励んでいたから感じなかったが、誰でも簡単でないことは容易にに想像できると思われる。

 先ずは、時間が必要であり、続いてお金もかかる。さらに自分の生活が犠牲になることである。多少の愛情があっても、この三つの関門は避けて通れない。もっと言うなら、介護のための知識も必要になってくる。

highdy の場合は、介護の先輩である紫陽花に学びつつ、自分のこれまでの仕事上の知識を活用しながら、大学で基礎看護学、リハビリテーションなど多くの関連科目で勉強しながら切り抜けた。

 単にお金だけあっても、時間や生活の犠牲を払わなければ、適当な施設やヘルパーに任せっきりということになる。highdy も結局は、仕事を辞めざるを得なかったわけで、自宅との二重生活を強いられることになった。一般の方は、なかなかこのようなことは不可能と言ってよい。

以上のような条件が揃ったとしても、何よりも最も大切なのは「愛情」である。人生に悔いの残らない介護こそ、介護される人から感謝され心から喜んでくれることこそ、本当の介護ができると言えるのではなかろうか。

 これら5つの条件のどれ一つ欠けても、満足な介護はできないのが現実である。親父がお袋の介護をしてくれて highdy に何の負担も掛けなかったので、二人分の面倒を看るつもりで頑張った。その結果、いま、心安らかに勝手気ままな余生を紫陽花とともに楽しむことができている。 

 

 

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